品質工学
かつて品質工学会に所属してました。
その当時のテーマはキャブ液封マウントの特性の最適化というものでした
サプライヤーと共同で開発しておりましたが、パラメーターの最適化に苦労していました。
液封マウントの減衰係数に当たるパラメーターにおいて品質工学とCAEによって最適パラメーターを
見出しました。その値は液体封入のマウントでしか実現しない値でした。
これによって車内騒音のレベルを著しく下げることに成功しました。
これは品質工学会に発表しています。
パラメーター設計で液体封入のラバーでしか実現できないパラメータを使用することができました
結果的には、乗用車レベルのこもり音の中型トラックの実現が可能となりました。
私の記憶の中ではこれが品質工学の成果です。
品質管理
設計担当の管理職をやっていた時、問題情報を一手に引き受けようとしていました
特に市場で発生した不具合の処置を一人で引き受けようと努力していました
Buck stops hereといっていきがっていたものでした。
結果は概ね良好であったと自負しています。
若い時は開発最優先で不具合関係はあまり取り扱う機会がなかったと思います。
その時は先行開発に専念できたと思っています。
管理職になって汚れ仕事を部下に押し付ける人もいましたが、私はこれを担うことが管理職の役割分担と思いそれによって早期に問題を収束できると信じていました
弊害があるとすれば不具合収束のノウハウを若い人に伝えきれなかったということかもしれませんが、最も効率よく収束させることが最重要と思っていました。残念ながらその時は上司に恵まれなかったために早期に不具合案件を収束させたことに対しては対して良い評価とはならなかったと思います その当時の会社は今の兵庫県のような状況だった?不適切な人材に支配されていた
やがて会社を辞めて技術士に専念するようになりました
チャイナパワー
中国のベンチャー企業の指導をしていたころ、中国企業が乗用車を作ることなど想定していませんでした
彼らの常とう手段はリバースエンジニアリングと言って外国車のコピーに明け暮れていたと思います。
BYDという会社があるのは知っていまして確かe6という本田オデッセイのコピー?を作っていたのは2010年代と記憶しています
あれよあれよという間に現在は押しも押されもしないEVの大企業になりました。
最初のころは乗用車なんかつくれるのか?という認識でした。
今は当時と隔世の感があります。
チャイナパワーをなめてはいけないと思いました。
中国での技術支援
2010年代に技術士として中国の企業に技術支援をしていました。
最初はヘッドハンティングに応じて中国の大手の民間企業
次には電気自動車への参入を目指すモーター製造企業
その次にはトラック製造する国営企業のエンジニアリング下請会社
最初の会社ではタイヤの偏摩耗とハンドル取られという品質問題を
検査ライン新設してタイヤのアライメント調整して完治させたこと
電気自動車に関してはプロトタイプ車の試作を成功させたこと
トラックの会社では板ばねの設計基準を作成して大幅な軽量化を導いたこと
などの成果を出してずいぶん中国の技術向上に貢献したものと自負しています
いずれも先端の技術ではありませんが、地道な技術的な課題と思います。
現在米中対立の下、安全保障の観点で物事が考えられていますが、非軍事の技術支援は今後の国際協調の意味からも
推進することが平和な世界を構築する上で有意義であると考えます。
Taguchi
アメリカに駐在していた頃、フォードのエンジニアから突然
Do you know Mr,Taguchi?という質問を受けたことがありました。
当時は田口博士のことを全く知らなかったのでポカーンとしていたのを覚えています。
その時期、Taguchi methodがアメリカで話題になっていたものと推察します。
その後、品質工学会に参加して仲間と論文を投稿しました、
その当時の熱気が現在、残念ながら続いていません。
一つの理由は難解な論理構成にあると思います
田口先生は普及しようとして努力されていたと思いますが、統計理論との相性で苦労されていたと思います。
元々難解な統計理論から出発して実用を目指していたにですが、そう簡単には行きませんでした
現在でも普及に向けて努力がされていますが、基礎的な知見の普及がQC検定のようなもののみであるのが現状です
理論の導入部で若い人への訴求力が求められていると思います